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TAMAZUSA
玉梓
性別 両性

出身 不明

身長 不明

体重 不明

生年月日 不明

使用武器 不明

武器名 不明

流派名 不明

人間関係  不明

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憤怒獨妖

玉梓

Soul Calibur VI Screenshot 2020.04.18 -

​Story

その昔、本人達が望まぬ戦争や災害で悲惨な死に方を迎えた無念の魂が集合して誕生した妖怪であり、同じ境遇の魂を捕らえては、ひとつひとつの魂に死んだときの苦しみと恨みを常に味わい続けさせていると言われている。これは負の感情によって憤怒獨妖の妖力を高める事が出来る為で一度、憤怒獨妖に捕まった魂は飴玉のように延々と嬲られることになる。

捉えられた魂達の、いつまでも続く死んだときの苦痛と悲しみによって、この世と生者に対する怒りと恨みは本能的に凄まじいものがあり、その行動原理も人に仇なす事が主体となっている。また大きな特徴として憤怒獨妖は人の肝を喰らい、また喰らわれた人間も食人鬼となって人を喰らうようになり、食人鬼に襲われたものも、また食人鬼となってしまう。

 

そのため、過去の文献や伝説でも最凶にして最悪の妖魔として語り継がれており桜華のみならず大鵬、松鶴の陰陽師で構成される陰陽師連や陰陽師筆頭格の琴吹家に於いても、憤怒獨出現の折は如何なる事態に於いても優先して事態に当たることになっている。最後の出現は桜明1253年頃と言われており琴吹家の創始者である琴吹白水によって封印された。

時は流れて、800年後の神桜53年、長い年月の中で憤怒獨妖の恐怖と教訓は風化していき、当の琴吹家でさえ伝承に残るのみで実際に憤怒獨妖が封印されたとされる封印塚の場所も分からなくなってしまっていた。

 

そんな時、桜華のある地方で、お玉という一人の遊女が川へ身を投げた。身を投げた理由は定かではないがこの世の恨みと苦しみ、怒りと悲しみ、そして絶望を抱えたまま死んでいった遊女の躯は、このところ続いていた大雨により増水していた川に流れに流されていった。やがて躯は土砂崩れの土砂によって川が堰き止められているところまで流れ着いた。そこには同じような躯が多数流れ着いており、大雨の洪水で流されたものや何らかの理由で死亡し、今まで見つからなかったものの躯が土砂崩れや雨の影響で流れ出してきていたのだ。

そして、偶然と言うにはあまりにも悍ましい出来事が起きてしまったのである。後の世で神桜の暴れ水と言われる大雨は広範囲に渡って洪水や土砂崩れの被害をもたらしていたのだが、最悪なことに憤怒獨妖を封印していた塚が山の地すべりによって破壊されてしまい、その中から憤怒獨妖が封じ込められた葛籠も、そこへ流れ着いたのだ。やがて自然の雨風や獣達の悪戯によって封印の札は剥がされてしまい。800年ぶりに憤怒獨妖は復活した。

 

復活した早々に大量の恨みや無念を抱えたご馳走の山に憤怒獨妖は、歓喜に打ち震え、瞬く間にそれらの魂を吸収して妖力を回復した憤怒獨妖は、近くに流れ着いていた、お玉の躯を依り代に受肉し、更なる新たな餌を求めて大鵬へ向かったのである。

800年という長き歳月と吸収した魂の知識、そして、見目麗しい遊女の新しい肉体と妖気を得た憤怒獨妖は絶世の美女と呼ばれるほどの容姿を手に入れていた。そして名を玉梓と名乗り、大鵬の遊郭へ入り込む事に成功する。そこで玉梓は三国一の花魁、玉梓太夫として名を馳せ時の大鵬国主、榊原永世に見初められ、永世の側室に迎えられることになったのだ。

 

やがて玉梓の色香に惑わされた永世は酒色に耽るようになった。

国政を顧みず、玉梓の言うがままに贅沢の限りを尽くし、諫言する家臣がいれば容赦なく手討ちしたことで、昔からの忠臣や先代からの遺臣は全て去り、かわりに玉梓に賄賂を贈り機嫌を取って保身を図るものや永世や玉梓の言うことしか聞かない奸臣のみが城内に蔓延る事となった。

玉梓の息が掛かった奸臣達は常に虚勢を張り、領民に威張り散らしたり悪事を働くに留まらず、自らの贅沢と貯蓄のために税を上げ続け、人々の生活は困窮を極めたと言われている。

ついには作物の不作で飢饉になり村の一つがまるごと餓死するなど悲惨な状況の中でも榊原永世は飢饉解消の祈祷と称して三日三晩の酒池肉林の宴会を催し放蕩を尽くした。ここに至り先代、榊原主税の遺臣であり最期の忠臣と言われた尾張伝兵衛は大鵬の行く末を案じ、武勲で名を挙げ、大鵬で最も力のある豪族で傭兵団を率いていた紅鶴寺実朝に、主君である榊原永世の討伐を依頼した。

 

最初は難色を示した実朝であったが国を憂う尾張伝兵衛の気持ちに打たれ国を乱し領民の命を悪戯に散らせる永世を討つべしと兵を挙げた。

その一報を聞いた榊原永世も兵を出し、実朝の拠点である妙義林へ自ら出陣した。が、妙義林と永世の拠点である翔鵬の丁度、中間にある亀山と言われる山の峠道、永谷橋峠にて実朝の奇襲を受けた永世はあっけなく討ち取られることなった。

 

奇襲を受けたとは言え、一国の大名と地方の豪族では兵力差は歴然であり、常識的に考えるならば、永世が勝利する戦いであった。しかし、実朝はそれを覆す大胆な戦略を取った。

 

この永谷橋峠は、右も左も断崖絶壁(勾配が40度から45度と言われている)であり敵の奇襲はあり得ないはずであった。実朝はここを一気に駆け下りて奇襲を掛けたのだ。

そして、後の世に永谷橋の逆落としと言われる戦いで榊原永世を討ち果たした実朝は尾張伝兵衛と合流しようとするものの、尾張伝兵衛も兵を起こし永世が留守中の居城、翔鵬城へ攻め込み怨敵である玉梓を討ち取らんとしていた。

 

しかし、玉梓は何処かへ姿を消した後であり、尾張伝兵衛は主君を大義の為とはいえ裏切り、全ての元凶である玉梓を討ち果たせなかった怨嗟と無念の声を上げながら、自決。燃え落ちる翔鵬城と共に運命を後にした。(後世に残された書物、獨妖乱記によると伝兵衛は実際には玉梓と相対し討ち果たしたとも言われており、その際に首だけとなった玉梓は「口惜しや、殺さば殺せ、我、百鬼夜行の鬼となり末代まで呪い、三国を地獄の鬼と亡者の国にしてみせん」と呪詛の声を残したとも言われているが作家による創作という説もある)

 

その後、尾張伝兵衛が永世討伐後の全権を委ねられていた実朝は尾張伝兵衛の意思を継ぎ大鵬の礎となる為に国主として君臨することになったのである。

 

では、姿を眩ました玉梓は何処に行ったのか?永世が出陣してから程なく、密通相手の御用商人(この時の玉梓の密通相手は125人いたとされる)を使い海を渡り、松鶴順慶が治める松鶴へ逃亡していた。ここで玉梓は用済みとなった御用聞き商人を喰らい、食人鬼化し、更には最寄りの村へ出向いて5歳の男の子を喰らったのを皮切りに村人全てを食人鬼化して配下に置いた。

 

人を喰らえば喰らうほど、業を背負えば背負うほど、禍々しくも美しくなっていく玉梓の色香と美貌は遠く離れた松鶴順慶の居城、白稜城まで届き、松鶴順慶もまた玉梓を側室へ迎えるべく村へ向かい、そこで玉梓と出会った順慶は瞬く間に玉梓の魅力に取り付かれて玉梓の言うがままになってしまった。

 

しかし、玉梓は今度は松鶴の政治には一切、口を出さず、寧ろ順慶を助ける形でアドバイスを行うようにして家中の信頼を得ていったのである。その一方では夜な夜な、城中や城下町へ出向き男を貪り食っては食人鬼化して手下を増やしていった。誰かが誰も気づかないうちに食人鬼化していき、食人鬼化しても気づかれない人間を狙い、やがては城下町の大半を手中に収めた玉梓は家老である木林庄左ヱ門長束を喰い殺し、食人鬼化した庄左ヱ門長束によって松鶴順慶は亡き者にされてしまった。と同時に玉梓は配下の食人鬼と共に城下町の人間を全て喰らい始めた。

そして、僅か半月をまたずに松鶴は玉梓の支配する国となったのである。

 

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